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◇民話とのであい

民話は私たちの知らない未知の世界へといざないます。そこには自然とともに暮らした人々の足跡がみられます。すべてがゆったりとながれる時代は、山や川は自然豊かで、生命を守るために知恵を出し合い、互いに協力し合うことが大切でした。みんな精一杯生きています。昔の人の心がよくわかります。私たちが忘れかけている人の心の温かさを感じさせてくれます。多くの人たちが苦労をして生活をしたようすを知り、今の生活の豊かさや便利さを見直してみたいと思います。

民話を読むことによって、自分の住むまち(地域)の昔を知るとともに、もっと町の歴史に関心を持ち、自分のふるさととして身近に感じてもらいたいものです。

西宮には古い村がたくさんありました。船坂、名塩、生瀬、段上、鳴尾、いっぱいあります。私たちは、今を知るため、歴史を知るために行動をおこしました。
そのはじめが鳴尾でした。鳴尾の浄願寺で「義民」のお話を聞いたことが、私たちを『鳴尾の義民』のとりこにし、この取り組みをはじめるきっかけとなりました。

 

◇浄願寺

浄土宗のお寺を訪ね副住職様からお話を聞きました。天正19年干ばつで大飢饉がおこりました。水がなく鳴尾村の田に水がなく、作物は枯れてしまっていました。ところが瓦林村の田には水がたっぷりあって青々と育っていました。新川から水が引きたいと瓦林村に相談に行ったけれど、断られてしまったそうです。村人は相談して穴を掘り出した・・・ところで争いごとが起こりました。尼崎からは野武士が加勢してくれました。(鳴尾の野武さん、尼崎の野武さんはその子孫かも?)この争い鳴尾村には犠牲者はなく、瓦林村に犠牲者が出たとか。

大阪奉行所で裁判をうけ、水を奪った樽の数を問われました。浄願寺の住職浄庵坊が25個と話し、代官もこれを認めたので25名が処刑されることになったということです。西宮市には裁判記録2通、浄願寺には水を代々もらえるという証文が残っています。

郷土の歴史的事実を伝承してきた人がいることを知って強く感動を覚えました。

 

◇鳴尾地区水利組合

今から400年以上も前のことですが、大干ばつで水が足りなくて田が干上がってしまった時に起こった大事件でした。川から水を盗んだ水争いは犠牲となった人の命は、永久にこの地域に水をもらえるという証文との引き替えでした。これが地域の住民が水の管理をすることのはじまりです。現在も水利組合の役割として残っています。

 

◇義民の碑

「命がほしいか、水がほしいか」と問われ、「水がほしい!!」といって村のために25名が犠牲になりました。この人々を供養し続け、現在に至るまで語り継いでこられた人たちがおられます。浄願寺では、毎年4月12日に、多くの人が参列して供養されています。
 そして、この水争いは「西宮ふるさと民話」の中に、『鳴尾の義民』として取り上げられ、今に伝えられています。

 

◇今私たちにできること

浄願寺さんの住職さん、鳴尾地区の水利組合の方が集まり、これまで水を受け取るために犠牲になった人たちをたたえ、供養してこられました。そして、これからも語り伝えていきたいという熱い思いを聞きました。古き時代から大切なものを今に伝え、次代に伝えようとする人たち・・・。自分たちがその一端を担い、地域の子どもたち、西宮の人たちそして多くの方々に知ってほしいと考えています。

蛇口をひねれば水がふんだんに出る時代です。けれども私たちは震災を体験しました。水がなくて非常に困りました。水がなくては作物が育たないだけでなく、ご飯を炊けない、お風呂に入れない、トイレにも困る、なにより飲み水がなくては人々が生活できないことを体で感じました。

先人が命をもかけて守った水を大切にするこころ、何事もみんなで分け合い協力することの大事さを、みなさんとともに考える機会になればうれしいです。


 

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